MSN物語その1

単なる思いつきですが、MACHINE AND THE SYNERGETIC NUTS(MSN)の歴史を紹介します。簡単な紹介じゃなくて全5回くらいの物語にしようかと思います。今回は第一回、MSN結成以前の話です。
基本的にMSNの歴史というより、私の歴史というか自伝というか、私のとても曖昧な記憶を紹介しようと思います。私が中学3年の時からこの歴史は始まりますが、確かそのころ初めてバンドを組みました。友人の山下と蓑部と。で、たぶん3人同じクラスだったのかな?そんなんでバンドを始めて、実際高校3年くらいまでこの3人は一緒にバンドやってたんですが、高校に入った時、クラスが皆バラバラになりました。それで、私は自分のクラスが何だったか思い出せないのに、山下がF組だったことはよく覚えてます。どういうことかというと、毎日昼休みや放課後など、いつもF組に行って、毎日のようにトランプでドボンというゲームをやっていたのでした。そのトランプをやってる仲間で、そのうちまた別のバンドを組むようになりました。それがEjavlas Asirnosです。バンド名なんてどうでもいいんですが、そのバンドのキーボードが後のMSNのメンバー岩田ノリヤなわけです。ちなみにそのバンドには山下は居なかったのですが。
そんなわけで、Ejavlas AsirnosはF組の仲間たちと作った楽しげな洋楽ロックコピーバンドでした。ジャーニーやディープ・パープルといったキーボードが入ってる曲をやってましたが、とてつもなく下手でした。その後、ノリヤと私は他にも2、3、高校時代にバンドを一緒にやりましたが、主にディープ・パープル、たまにレインボー、まれに「21世紀の精神異常者」や「ラウンドアバウト」なんて曲にもチャレンジしつつ、高校を卒業しました。そんで高校卒業後、大学入学まで1年間勉強の時間があった私とノリヤは、もちろんバンドを辞めたのですが、お互い音楽を聴く仲間になりました。というか、高校時代は一緒にバンドやってても実はそれほど仲良くなかったんだけど、この時代以降、音楽聴く仲間として、お互い、ジャズやプログレ、フュージョンやクロスオーバー、カンタベリーやジェネシス、スワンプ・ロック、ブラック・ミュージック、結構マニアックな音楽から普通のアメリカ人の好む音楽まで色々聴いてました。
大学に入ってしばらくしてから私はライブハウスに出ようと思い、また高校の時の仲間(含むノリヤ)とFiddlestickというバンドを始めました。適当にブッキングしてもらいながらオリジナルを演奏するというのを少しの間やってましたが、曲はメンバー皆で作ったり持ち寄ったりでした。ちなみにノリヤがこの頃作った曲がMSNの1stに入ってるA Couple of Kettlesという曲です。曲名は何か違った気がするけど・・・で、まぁ、そのバンドはそんなに発展せず、しばらくして私は大学の先輩たちのバンドMelt-Bananaにドラマーとして入ることなり、自分でバンドをやらなくなってしまいました。一応ここまでが、私のギタリスト時代。そう!ここまで私はずっとギター弾いてました。まぁ、あまり上手くないんですが。
さて、そんな訳でドラマーになった私はMelt-Banana(実際名前は違ったけど)に加入して、わりとライブハウスでの活動が盛り上がって来ました。結構マニアックだけど評価を受けてたので、他のバンドはやらなくなりました。でも基本的にハードコアっぽかったMelt-Bananaの音楽性より、ジャズやジャズ・ロックに興味のあった私は、東京大学のジャズ研に入っていたノリヤにたまに誘ってもらって、適当なジャズ(当時はいわゆるFake Jazzのつもり)の演奏をしてました。まぁ、ギター弾いたりしてた気がするんですが。そんな流れの中で、1995年、私はMelt-Bananaで海外ツアーしたり、海外のバンドのオープニングとかでクアトロに出たりと結構活躍してた時に、ふとノリヤにバンドに誘われました。ノリヤが友人に誘われたライブイベントで、自分(ノリヤ)のつくった曲をやるために、今度は私はドラマーとして入って、Fiddle2というバンドを作りました。そのバンドにはノリヤのジャズ研仲間もいたので、管楽器の何人かいるジャズ・ロック・バンドでした。一回きりのライブのバンドでしたが、このときに演奏した曲は後のMSNのOr Lots of Squares、METROPOLICANなどがあった気がします。
そんなわけで、次回はマヒマヒ登場です。

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