ジムのバンドが始動した頃の話。

石橋英子+山本達久-バッタリ度★★☆☆☆
いつものようにバッタリ日記、これを書いてるのは2014年12月ですが、投稿の日付はバッタリ会った日付、2010年7月です。
なので、4年前のことを思い出して書くわけですが、2010年の初めころからジム・オルークとリハーサルを始めました。メンバーはジム、私ベース、そして山本達久ドラム、という3人です。この時はまだ英子さんがいません。たぶん前年2009年の終わりころ、どこかで達久くんと知り合い、その後ジムの家に行ったら達久くんと再会!とい感じでバンドが始まりました。
で、そのバンドとは別に、この年の4月にはジムのプロデュースしたのバート・バカラック曲集のアルバムのレコ発ライブ(ツアー)をBillboardでやりました。これは私は東京しか出れなかったんですが、グレン・コッチェやダーリン・グレイ、青山陽一さん・・・凄いメンバーが集まったライブでした。ここのキーボードで石橋さんが参加したんだったかな。もともとフルートで参加してたはずですが、この後、ジムのバンドにも石橋さんが入ったような気がします。
まぁ、それは置いておいて、このころ石橋さんのバンドはたぶん、達久くんと勝井さんだった気がします。その編成を見たことはないのですが。そういう繋がりがありつつ、まだ一緒にバンド(ライブとか)やってない頃の話ですね。私がふと秋葉原のドラムステーションとかいう名前の楽器屋に入ったら・・・石橋さんと達久くんが2人で買い物してました。この頃、よく会い始めたという段階だったんだけど、偶然楽器屋でも会いました。縁があるんでしょうね。この数カ月後、ジムのバンド(ジム、私、達久くん、英子さん)の4人で、京都で初ライブをやりました。そして、その数カ月後、この4人で石橋英子でライブをやりました。その数カ月後、波多野さんが入って「もう死んだ人たち」になりました。そして、現在まで続くわけです。

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